例えば、年金とか全然払いたくないのだけど。それは、何歳までは生きれるという保証もないのに、未来への投資じゃあなくて、今いる老人のために、お金を払う、という部分にあるのかも知れない。助け合いを具現化するには、年金は、制度すぎる。

どうも、昨日から考えていたのは、「近々死ぬのじゃないか?」ということだった。例えば、私は、今、無職だけど、就職時代ですら、年1回の健康診断すら保証されない会社だった。

それでも、2年に1回は、尿を取ったり、血を取られたりしていたのだけど、それすらしなくなった。

親指がずっとかぶれている。皮膚ガンだったりして。四肢とか、形容しがたいところに、形容しがたい痛みが走る。ガンかも知れない。舌の先っぽにも、ずっと違和感がる。なんか、ヤバイことかも知れない。

生きたいとか、生きなければならないというのは、未来への責任だと思う。どんな腐れ腐れ腐れ親と、下衆下衆下衆下衆下衆息子でも、生きなければならないのは、そこに責任があるからだと思う。

だから、今、私が死んでも、悲しむ人はいても(いたとして)、困る人はいない。嫁も、子どももいない。だから、本来的な意味では、明日死んだってかまわない。はずだ。

ただ、本人が死にたくない理由を考えれば、ワンピースと、めだかボックスの最終回と、エヴァQの次のエヴァ『?』を観れないことぐらいだろーか。

死ぬ前の悔いは、果てしない。それが、明日になるか、1年後になるかも分からない。

だからせめて、死ぬことが分かった時に、死ぬまでにやりたいことは、何かを考えないといけないと、思った。